Saturday, November 5, 2022

裕次郎が愛した神戸の花街、多数のオフショット見つかる 花隈の元芸者が保管、宴席で描いた貴重なイラストも - 神戸新聞NEXT

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 昭和の大スター、石原裕次郎さん(1934~87年)が、映画の撮影などで神戸を訪れた際の大量のオフショットが見つかった。保管していたのは、かつて花隈で芸者として働き、三宮などでクラブや料亭を経営していた女性。花街だった往時の花隈を伝える貴重な資料として、地元のまちづくり団体が活用を検討している。(小川 晶)

■段ボール10箱分の写真

 高倉健さんに浅丘ルリ子さん、長門裕之さんら銀幕のスター。大相撲の名横綱大鵬さん、プロ野球西鉄のエース稲尾和久さんといったスポーツ関係者。十二代目市川団十郎さん、四代目坂田藤十郎さんら大名跡を継ぐ歌舞伎役者…。

 神戸市中央区にある大島有紀子さん(92)の自宅には、段ボール10箱分にも上る写真がある。1950年代の花隈での芸者時代から半世紀近くに及ぶ接客業で、つながりがあった人たちとのスナップだ。

 「みんな印象に残っているけれど、誰か一人、と言われれば裕ちゃんかな」。大島さんは没後35年となった石原裕次郎さんを挙げた。「太陽にほえろ!」「嵐を呼ぶ男」などの作品で知られる神戸出身の名優だ。

■ホテルのバーでたまたま隣り合わせ  

 出会いは58年の夏、オリエンタルホテル神戸のバーだった。たまたま裕次郎さんと隣同士となった大島さんは、芸者名の「そめ丸」の名刺を渡し、「よかったら花隈に来てください」と伝えたという。

 翌59年3月、裕次郎さんが料亭を訪れた。宴席に呼ばれ、いつも以上に酔いが回った大島さん。裕次郎さんが頼んでくれたきつねうどんを口にしたが、具合が悪くなってしまう。

 プロの芸者らしからぬ行為だったが、裕次郎さんは大笑いし、その様子を味のある筆致で描いてプレゼントしてくれた。タイトルは「ゲロゲロのコン」。きつねうどんのキツネが由来で、これ以降たびたび「コンちゃん」と呼ばれるようになった。

■ロケのたびに1週間単位で貸し切り

 62年、大島さんは三宮でクラブを開店した。裕次郎さんは、神戸でロケがあるたびに1週間単位で貸し切った。ソファでくつろぎながら飲むお酒は、決まってブランデー。深夜、滞在先のホテルから「夜食が欲しい」と呼び出され、スタッフの分までおにぎりを作って持参したこともあった。

 撮影現場を訪ねると、大島さんの長女と一緒に写真を撮ってくれるサービス精神も。「子どもが大好きで、寂しがり屋。飾ったところがまるでなくて、大スターなのに、そう感じさせない人でした」と振り返る。

 裕次郎さんはその後、「石原プロモーション」を設立した。この頃から神戸に滞在する機会が減り、大島さんとの接点も少なくなる。87年に52歳で亡くなると、大島さんは東京での葬儀に駆け付け手を合わせた。

■「歴史的な資料」地域の財産に

 大島さんは80年代に接客業の一線から退いた。手元に残った写真について今春、地域の歴史を伝える「花隈モダンタウン協議会」に相談すると、デジタル化して活用する提案を受ける。

 同協議会の太田育宏理事(62)は「スター俳優や経済人らがくつろいでいた花街のにぎわいを感じさせる」と評価。料亭や芸者の稽古などのスナップもあり、資料的価値も高いという。

 「花隈にいたおかげで、裕次郎さんをはじめさまざまな人と出会うことができた。写真が育ててもらった地域への恩返しにつながるのなら、こんなにうれしいことはない」と大島さん。写真の一部は今月末の「花隈モダンタウンフェスティバル」で展示される予定という。

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