Friday, August 6, 2021

具志堅用高が明かす沖縄初の金メダリスト喜友名諒への思い 「沖縄にとって五輪は特別、金は夢」 - スポーツ報知

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 空手形男子・喜友名諒(31)が沖縄県出身の金メダリスト1号に輝いた。石垣島出身で、同県出身者初のボクシング世界王者となったタレントの具志堅用高(66)は自身の経験も振り返り「パレードをしてもおかしくない」と最大級の賛辞を贈った。また芸能界の沖縄出身者からも祝福のメッセージが届いた。(田中 雄己)

 具志堅は興奮した様子で、一気にまくし立てた。

 「喜友名選手、すごかったね。キレやスピードがシュシュシュッと」

 同県は空手発祥の地とされるだけに、県勢初の金メダルが同種目ということに価値がある。「(72年の)沖縄返還までは中学まで空手の授業があったし、結婚式ではよく空手の演武が披露される。そして、全国に広げたのが喜友名選手の恩師の佐久本(嗣男)さんですからね」

 五輪やW杯では「DA PUMP」や「MAX」のメンバーらが所属する「具志堅会」で集まって応援するのが恒例だが、コロナ禍のため自粛。自宅で声援を送るが、気になるのはやはり同郷の選手。「いきなりレスリングの屋比久(翔平)が銅メダル取ってね。沖縄は金メダル出たら、そりゃ大変ですよ」

 思い出すのは45年前。1976年、デビュー9戦目でWBA世界ライトフライ級タイトルを獲得。沖縄初の世界チャンピオンは那覇空港に到着すると、県を挙げての祝福を受けた。

 「空港から(那覇市の)国際通りを通って(出身の)興南高校までパレードですよ。沿道には何十万人も集まってね。あの光景は、今でも目に焼き付いているね。コロナ禍で難しいかもしれないけど、それくらいやってもおかしくないよね」

 沖縄にとっても自身にとっても「五輪は夢」だった。小学生だった64年の東京五輪は米国統治下にあった。「(石垣島は)日本の最南端で電波が届かなくて」。だからこそ中学時代に初めて見た68年メキシコ市五輪の(男子マラソンの)アベベや(重量挙げの)三宅兄弟の活躍は鮮烈だった。同じ国でもテレビで見ることすらかなわなかった歴史があるからこそ「五輪は特別、金メダルは夢」になった。

 喜友名に続き、7日の野球決勝戦には、石垣島出身の平良海馬投手(西武)が挑む。「平良といい、山川穂高(同)といい、最近は野球でも沖縄出身者の選手が多くてね。2日連続で金メダルなんてなったら、沖縄が大騒ぎになるんじゃないですか」と声を弾ませた。

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