戦いへの準備は完了。 長いフェイスオフの間、“精密機械”と謳われるウクライナ人を見つめて、「どのへん殴ろうかな…と。リアルに、想像と現実をあたまの中で調整していました」という中谷は、たかぶらず、最後は自ら握手を求めて別れた。 「やはり、お互い人生のためにこうやってボクシングの試合をしているわけで。べつに憎しみあっているわけじゃないので、明日の試合、お互いにベストコンディションで戦えたらな、っていう気持ちです」 日本人があのレジェンドと戦う。しかも、“危険な刺客”として、そこにいる。 ロマチェンコは超絶技巧の使い手だ。五輪2大会連続金メダル、プロでは2戦目からすべて世界戦。燦然と輝くレジュメを持ち、何人もの対戦者を絶望させてきた。そんな絶対王者が、自身3階級目となるライト級で体格の壁とも戦いながら世界4団体王座統一を目指し、最後のミッションに破れた。昨年10月、IBF王座を持つテオフィモ・ロペス(アメリカ)への判定負け。その後すぐに手術、加療に入ることになる右肩の故障のせいもあったのだろう。前半はとくに明らかに精彩を欠き、中盤からの巻き返しも届かなかった。「負けたとは思わない」と心を曲げない誇り高きキングは、ライト級での再起を決意し、再起戦の相手に中谷を選んだ。 ロマチェンコのアメリカン・ドリームを支えてきたプロモーター、トップランク社ボブ・アラムが言う。 「ロマは自身のレガシーを真剣に捉えている。彼は常に最も難しい相手を望むんだ。素晴らしい試合になるだろう。中谷は過去2戦で、しっかり力量を示している。身長でのアドバンテージもある。映像や写真を見て選んだわけではなく、直近のトップ選手との2試合で実際に力を証明してきた選手だ。中谷が勝ったとしても大きな驚きはない」。 中谷は、このチャンスをたしかに自らの拳でつかんだのだ。 「驚きですね。一度はボクシングをやめて、そこからこんなすごい急展開で、人生が大きく変わったので。人生何があるかわからんなって感じです」。 勝てば、一気に世界のスターダムに 東洋太平洋ライト級王座を11度も防衛しながら待ち続けた男は、2019年7月、アメリカ・メリーランド州に赴き、IBF次期挑戦権を賭けた12回戦に臨んだ。眼窩骨折を負いながらフルラウンド。今をときめくテオフィモ・ロペスを“もっとも苦しめた男”として、その名は記憶に刻まれる。一度は引退を宣言したが、移籍、再起。1年5ヵ月のブランクを越えて、昨年末、アメリカ・ラスベガスのリングに立った。再浮上中だった俊才フェリックス・ベルデホ(プエルトリコ)との10回戦で、9回TKO勝ち。2度のダウンを奪われる崖っぷちからの大逆転劇で、強烈な印象を残した。 帝拳ジムの本田明彦会長によれば、ロマチェンコ再起戦の対戦者としてオファーが最初に届いたのは、その劇的勝利から2ヵ月ほどたったころだという。「こちらは大喜びです。マッチメイク的にみれば、ロマチェンコが再起戦の相手に、サイズがあって、やりにくい中谷を選ぶのは得策ではないと思いました。勝って当たり前、とみられもするわけで。ロマチェンコはとにかくロペスと再戦をしたい。ロペスを苦しめた中谷に、ロペスよりいい勝ち方をすれば、評価される。だから選んだのでしょう。中谷はベルデホにも勝って、トップランクがOKして、(放送する)ESPNもOKした。いい試合になるのは当然。なにしろ、いい試合をしてほしいと思っています」 ロペスを筆頭にライト級はアメリカの若き才能が集う充実の階級だ。この舞台の先にはたくさんのチャンスが期待できる。現に、先ごろWBC王者デビン・ヘイニー(アメリカ)に挑戦し、終盤大いに盛り上げた世界3階級制覇者ホルヘ・リナレス(帝拳)にはその後も魅力的な誘いがあるという。「金額でも今まで以上のオファーですよ。ライト級という階級の価値を感じます。今回、中谷が勝てば、そういう夢が広がります」。
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