◆東京五輪 柔道男子73キロ級(26日・日本武道館)
男子73キロ級で大野将平(29)=旭化成=が2連覇を成し遂げた。決勝は延長に入り、リオ五輪銅メダルのシャフダトゥアシビリ(ジョージア)と9分26秒の激闘の末、支え釣り込み足で技ありを奪って優勢勝ちした。女子57キロ級の芳田司(25)=コマツ=は準決勝で敗れたが、3位決定戦を勝って銅メダルを獲得した。大野は五輪の1年延期という困難に打ち勝ち、日本男子で史上4人目の連覇を達成。日本柔道は競技開始から3日連続、男女全階級でメダルを獲得した。
聖地・日本武道館に大野の雄姿が刻まれた。「圧倒的から絶対的へ」と掲げて5年間を歩んできた。海外勢には7年間無敗。それでも連覇は一筋縄ではいかなかった。決勝は先に指導2つを受けた。「一発で勝負が終わる。感じたことのない恐怖の中で戦っていた。昔の自分だったら心が折れていた」。9分26秒、とっさに出た支え釣り込み足で死闘が決着。「苦しくてつらい日々を凝縮した一日。オリンピックという場で理想を体現することの難しさを経験した」。負けることを知らない王者は、謙虚に5試合を振り返った。
柔道で五輪を連覇したのは男女で過去6人だけ。リオの直後、その難しさを井上康生監督に尋ねたことがあった。04年アテネ五輪で2連覇を逃したが、現在の形容詞は全日本男子監督であり、シドニー五輪金メダリスト。それを踏まえ「リオの金メダリスト。その肩書は消えない。思いきって挑戦すればいい」と背中を押され、「気持ちが楽になった」と腹をくくった。
挑戦の1つの方法として選んだのが、天理大大学院での研究だ。リオ五輪後の1年は試合から離れ、修士論文を優先した。仕上げの3か月は朝から晩まで研究室にこもるほど没頭した。
『柔道「大外刈」の効果的な施技方法に関する研究―オリンピック選手の指導に活用するために―』
こう題された26ページの論文で、得意技の大外刈りを研究テーマにした。全日本柔道連盟科学研究部の協力を得て、3人の大学生や社会人と自身の大外刈りの動作をモーションキャプチャーや連続写真で分析。柔道の教本に書かれているように3人は「崩し→作り→掛け」の順番だったが、大野は「作り+崩し→掛け」であることが判明した。
実際に天理大の部員52人に技をかけて、アンケートを取った。作りと崩しをほぼ同時に行う“大野型”には「力強さを感じた」「スムーズだった」という感想が集まった。論文を指導した84年ロサンゼルス五輪王者の細川伸二教授(61)も「独特の入り方をするなと思っていたが、それを文章化した。科学的に立証されたことで、より信念を持って技をかけられるようになったと思う」と指摘する。
論文の作成にあたり、柔道の総本山「講道館」の資料室に通った。過去の文献をめくり、柔道や五輪の歴史に触れた。柔道の創始者の故・嘉納治五郎氏が幻の1940年東京五輪の招致に尽力したこと。64年東京五輪から柔道が正式種目となったこと。柔道と東京五輪の深い関係に「運命的なものを感じた。古き良き日本柔道を日本武道館の畳の上で体現する」。有言実行の2連覇。畳を下りる前、天井を見上げ、聖地の景色を目に焼き付けた。(柔道担当・林 直史)
◆大野 将平(おおの・しょうへい)1992年2月3日、山口県生まれ。29歳。旭化成所属。東京・弦巻中、世田谷学園高では柔道私塾「講道学舎」で鍛え天理大へ。2011年に世界ジュニア制覇。73キロ級で13、15、19年世界選手権優勝、16年リオ五輪金。右組み。得意技は大外刈り、内股。170センチ。
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