
仙台市出身で東日本大震災を経験した羽生結弦(26)=ANA=は被災者の心に寄り添い、スケートを通してメッセージを届けてきた。羽生結弦というスケーターを見つめてきた3人の記者が、震災からの10年を振り返る。
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2018年平昌五輪のフィギュアスケート男子で、66年ぶりの五輪2連覇を達成した翌日の記者会見。羽生のある言葉が、心に残った。
「これからもうちょっとだけ、もうちょっとだけ、自分の分の、自分の人生をスケートにかけたいなって思ってます」
自分の分――。羽生は自分のために滑っていなかったのか。「強くなりたい」「いい演技をしたい」とひたすら自分のために、スケートに向き合ってきたと思っていたから、少し引っかかった。それから半年後、羽生は、こうも語った。
「これからは自分のために滑ってもいいのかな」
「羽生結弦らしく」あるための重圧
14年ソチ五輪で金メダルを獲得して以降、羽生への注目、人気はすさまじいものだった。期待に応えなくてはいけない。結果を出さなくてはいけない。そして、「羽生結弦らしく」あらねばならなかった。
五輪王者となった翌年にはショートプログラム(SP)、フリー、合計で、それぞれ2回も世界歴代最高得点をマーク。平昌五輪金メダルの大本命。そして、被災地の「希望の星」――。カリスマ性、華を兼ね備えた若き王者にかかっていたプレッシャーは、どれだけのものだったのか。…
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