2014年の小林可夢偉以来、7年ぶりに誕生した日本人F1ドライバー、角田裕毅。角田は先日のF1開幕戦バーレーンGPで9位入賞を果たした。
いきなりの緒戦快走で話題を呼んでいるが、実は44年前、同じくF1デビュー戦を9位フィニッシュで終えた“先輩”日本人ドライバーがいた。
その名は高橋国光。レースファンなら知らぬ者はいない2輪、4輪モータースポーツ界のレジェンドだ。
TEAM KUNIMITSU総監督として終始にこやかな笑顔をたたえる現在の姿からは想像もつかないかもしれないが、実は国さんは『元F1ドライバー』でもあったのだ。
44年前といえば1977年。この年、日本で初めてF1日本GPが開催された。国さんはティレル007・フォードを駆って22番グリッドから着実に順位を上げ、9位で完走した。
当時37歳の国さんは、すでに4輪のビッグマシン、ニッサンR381やR382を駆るなどニッサンのワークスドライバーとして10年以上のキャリアの持ち主で、コースは走り込んでいた富士スピードウェイだったことなど、角田がおかれた状況とはまったく異なるが、それでも日本とF1との距離がまだまだ遠かった70年代、しかもマシンは3年落ち(当時のティレルの最新マシンは6輪車『P34』)という状況下での9位は殊勲賞ものだったんじゃないだろうか。
伝説は国さんだけにとどまらない。さらにその1年前、1976年に富士で開催された日本初のF1グランプリ、『F1世界選手権イン・ジャパン(諸事情で大会名称に日本GPが使用できなかったため、初めてのF1日本GPは厳密に言えば1977年となる)』ではもうひとり、高原敬武(たかはら・のりたけ)がこちらも9位で完走している。
1976年の“富士F1”といえば、日本のコジマが生み出した『KE007(長谷見昌弘)』の“幻のポール”や、豪雨の決勝での星野一義の快走などがよく知られるが、日本勢最上位フィニッシュは高原だったというわけだ。
3人の果たした9位完走の意味は当然それぞれ異なるが、それでもなんだか、ハタチの新鋭を通じて45年前と比べてみるのも、面白いではないか。
しかし高原は、実はこれがF1デビュー戦ではなかった。1974年にイギリスのシルバーストンで開催された非選手権戦にビットリオ・ブランビラの代役としてマーチ741・フォードを駆り出場。手堅く11位でゴールへマシンを運んでいる。
つまり高原もF1マシンでの実戦経験があったし、もっと言えばF1と同格のDFVエンジンを国内レース(富士グランチャンピオンシリーズ、通称GC)へ投入して大パワーの経験も積んでいた。
GCでは2度(1976年を含むと3度)タイトルを獲得していた高原にとっても富士はやはり“庭”だったから、これまた角田とは異なる状況だが、それでもこれから偉業を成していくだろう角田と45年前の先達が刻んだリザルトには“共通点”があった……そんな豆知識を知っておいてほしい。
いやもちろん「ただ順位が偶然一緒だったというだけ」と言われればその通り……なんだけどさ。
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