能登半島地震による津波で、石川県能登町から流された太鼓が同町から直線距離で約120キロ離れた柏崎市鯨波の海岸に漂着した。太鼓は、地区の祭りで使われていた。発見した同市の旅館業、
杤堀さんは地震から3週間近くたった1月20日朝、自身が営む旅館前の海岸で皮の一部が破れた状態で打ち上げられていた和太鼓を見つけた。砂まみれになった太鼓は側面に「白丸区」と記されていた。
「どこかの地名かも」。インターネットで検索すると、能登町の地名と判明した。「津波で流出したのかな。地域にとって大切な太鼓かもしれない」。持ち主を探すため、X(旧ツイッター)に太鼓の写真を投稿すると、みるみるうちに拡散、閲覧回数は、すぐに80万回を超えた。
まもなく、白丸の男性から「いつか取りに行かせてください」と連絡があった。男性とのやりとりの中で、太鼓は、家内安全を祈って毎年9月に行われる「白丸
その後、祭りの運営を担当する住民からも連絡があり、しばらくの間、杤堀さんが太鼓を保管することになった。太鼓の中にはバケツ一杯ほどの砂がたまっていたため、杤堀さんがきれいに洗い流して管理している。
白丸は、地震や津波、火災で甚大な被害を受け、太鼓以外の祭り道具の保存状態もわからないという。
杤堀さんは、太鼓が漂着したことをきっかけに、柏崎市内で写真展を3月に実施しようと準備を進めている。写真展では、SNSへの投稿で知り合った能登町在住のカメラマンが地元で撮り続けた作品を展示する予定だ。
杤堀さんは、「能登町と柏崎市のつながりが生まれたのは何かの縁。地震の前の美しい能登を多くの人に知ってもらい、太鼓が復興のシンボルと言える日が来るまで保管したい」と話している。
からの記事と詳細 ( 柏崎に漂着した能登町の太鼓 復興まで保管 - 読売新聞オンライン )
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