戦後の占領下、軍国主義に関する記述を墨で塗りつぶした「墨塗り教科書」。連合国最高司令官総司令部(GHQ)による占領政策の一環で行われた。伊那市山寺の向山修さん(89)は、その教科書を今も大切に保管している。当時は国民学校の6年生。「お国のために尽くす」という軍国少年だった。しかし、終戦を境にそれまでの価値観は一変。教育の民主化が図られ、その象徴が墨塗りの教科書だった。のちに教員となった向山さんは教育が戦争に果たした役割を重く受け止め、「教育の影響力」をかみしめながら教壇に立った。
向山さんが保管している墨塗りの教科書は、ともに6年のときの国語と算数の2冊。墨塗りのほか、ページごと、あるいは章ごと抜き取られている部分もあった。
国語の教科書では、軍歌「海ゆかば」の歌詞が消されていた。もともとは万葉集の大伴家持の歌を基に作られたもので、戦時中、戦意高揚のために歌われた。戦いで海に行くなら水に漬かる屍になろう、山に行くなら草むらの屍になろう、天皇のそばで死ぬのなら決して後悔はしない-。そんな意味が不適切と判断されたとみられる。
墨塗りは軍国主義とは無関係と思われるような算数の教科書にも。当時の日本の人口や面積にちなんだ計算問題の数字の部分が黒く塗られた。向山さんは「占領地を含めた人口や面積だったためではないか」と推測。「GHQによる徹底した軍国主義の排除がうかがわれる」と驚く。
「当時はまだ子どもだったから、そうした意味までは分かっていなかったと思う」。それでも、絶対に傷つけてはいけないと教わった教科書になぜこんなことをするのかという不思議な思いと、担任の男性教諭が流した涙だけは鮮明に覚えているという。
一方で、向山さんがもう1冊大切にしている教科書がある。高校のときの「民主主義」(下)だ。終戦後の1948、49年に上下巻が発行された。「民主主義の根本原理は、人間の尊重である。この精神に従って、まず要求されるのは、生徒の個性を重んじ、それを正しく伸ばしていくことでなければならない。(中略)新しい教育の方針では、生徒の勉強に自主性と自発性とを与えるように努めることとなった」(第14章・民主主義の学び方)などの記述に深い感銘を受けた。
その後、教員となった向山さんは「戦時中、一方的に与えられた教育を無自覚に受け入れた」という反省から、教職に就いてからは一貫して「学ぶ力」を育てる教育に力を入れた。「戦前、戦中は先生は絶対的な存在。その教えに疑問を持つことはなかった。純真無垢な子どもの心はお国のためにという考えに染められ、戦争へと駆り立てられた。それが教育の力であり、怖さでもある。日本は戦後、その反省に立って繁栄を手に入れた」と指摘する。
しかし、「現在の世界を見渡せば、逆のことも起きている」と向山さん。「教育が悪い方向に転んだときにどうなるか。墨塗りの教科書はその教訓を現代にも伝えているのではないか。忘れてはいけない歴史だ」と訴える。
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