昨年8月に現役を引退した元バレーボール日本代表の福澤達哉。今回、オリンピックという同じ夢を追い続け、苦楽を共にしてきたパナソニック パンサーズの清水邦広選手を、パナソニックの広報担当として取材しました。清水選手は、多くの困難に直面しながらも、諦めずに前だけを向いて努力を続け、東京2020オリンピックの代表の座をつかみ取り、歴史的勝利に大きく貢献。長きにわたり、日本男子バレーの顔として代表をけん引してきましたが、その道のりは決して順風満帆なものではありませんでした。輝かしい成功の裏側にある「不屈の精神」に迫ります。
ようやくたどり着いた夢の舞台
清水:今日、福澤は記者として取材に来ているので、マネージャーから「敬語で」と言われました(笑)。
福澤: それは私も同じですね(笑)。ついこの間まで一緒にプレーしていたので変な感じはしますが、よろしくお願いします。13年ぶりのオリンピック出場、29年ぶりのベスト8と男子バレーの歴史を動かした今大会。私は出場することがかないませんでしたが、清水選手はキャリアの集大成として挑んだ東京2020オリンピックで何を感じましたか。
清水:オリンピックは何が起こるか分からないと肌で感じました。スポーツの世界は実力や過去の成績で結果を予想、判断することが多いですが、それが全てではありません。今回バレーボールで金メダルを獲得したのは、予選をギリギリ通過したフランス。負ければ予選敗退という局面で挑戦者のマインドに切り替えたことが功を奏し、その試合以降、大会そのものを楽しみ始めました。プレッシャーを克服して、前向きなものに転換できたことが勝敗を分けたように思います。一方、日本も勝ちにこだわりつつ、毎試合楽しもうという雰囲気があり、自分たちの可能性に挑戦できる喜びを感じながらプレーしていました。
福澤:優勝候補のブラジルやポーランドはプレッシャーに追われているように見えました。1年延期や無観客での開催などいろいろありましたが、振り返ると、どんなオリンピックでしたか。
清水:終わってみれば、楽しかったなと思います。でも、オリンピック期間中もコロナの感染者数は増えていて、自分たちだけ競技を続けて良いのかという気持ちは常にありました。世界中のアスリートがそれぞれ複雑な思いを抱えながらも、「スポーツで世界を勇気づける」と強く意気込んで挑んだ大会だったように思います。
福澤:選手村の様子や雰囲気はどうでしたか。
清水:選手村は世界各国のトップアスリートが一堂に集まります。本来ならばいろいろな国、競技の選手とコミュニケーションが取れる貴重な場所ですが、今大会は感染対策で行動制限もあり、基本的には競技会場と宿泊棟、食事会場の行き来のみでした。日本チーム内の交流もあいさつ程度で、少し寂しい感じがしました。
福澤:北京オリンピックでは1勝もできませんでした。その悔しさを晴らすために東京2020オリンピックを目指していたと思いますが、今大会のベスト8は納得のいく結果でしたか。
清水:若い選手は悔しいという気持ちの方が強かったように思いますが、代表が低迷していた時期を知る私にとっては満足できる結果でした。日本は13年間もオリンピックから遠ざかっていました。そこからメダルを取ることはそう簡単ではありません。この経験を生かし、パリ2024オリンピックでのメダル獲得につなげてほしいですね。
全てを受け入れて、今できることに集中する
福澤:オリンピックの後、代表引退を表明されました。長年日本代表として活躍し、チームを引っ張ってきましたが、若手、中堅、ベテランとなるにつれて役割や立場はどう変わりましたか。
清水:若手の時は何でもできると思っていました。ただがむしゃらにプレーして、ミスをしてもその倍の得点を決めればいいと、怖いもの知らずの感じでした。中堅になると自分が代表の中心となり、キャプテンも任されました。この頃から責任とプレッシャーを強く感じ始め、勝つためにリスクを負って攻めるのではなく、負けないためにミスを抑えるというマインドになり、プレーも消極的になる悪循環に陥りました。自分のせいで負けたという意識も強く、負けることへの怖さを感じるようになって。試合をする前から、相手じゃなくて自分自身に負けていたと思います。
福澤:たしかにあの頃は、私も試合をするのが怖かったのを覚えています。その苦しい時期を経て、ベテランになった今はどうですか。
清水:けがの影響で、若い頃のようにジャンプができなくなり、体力の衰えも感じます。それでも工夫次第で点数は取れることに気付き、より一層バレーボールが楽しくなってきました。これまでは常に完璧を求めていましたが、ミスや欠点を受け入れ、今の力でどう戦うべきかにフォーカスするようになりました。
福澤:チームの体制や環境に合わせて、役割や求められるものは変わります。適応するためにプレースタイルは変化させていましたか。
清水:求められたことはどんな意見であっても、一度は必ず受け入れて挑戦します。その中に飛躍的に上達するヒントがあるかもしれないからです。そのうえで、自分に合うかどうかを判断していました。
福澤:膝のけがも含め、これまで多くの困難にぶつかってきたと思います。どう向き合い、乗り越えてきましたか。
清水:3年前に膝をけがした時は正直諦めようと思いました。そんな時、ある人から「今のつらい状況も、全て時間が解決してくれる」と言われました。当時はただのきれい事だと思っていましたが、時間とともに傷が癒えてくると、自然と落ち込む時間は減っていき、気付けばもう一度頑張ろうと前向きな気持ちになっていました。非常にシンプルではあるけれど、時間は一つの解決方法だったと思います。
福澤:その時間をどう過ごしていましたか。また、清水選手の中でどのような変化がありましたか。
清水:けがをしてすぐは絶対この日までに復帰してやるというような強い気持ちにはなれなかったので、無理に頑張ろうとはせず、なすがままに過ごしていました。ただ、当時のコーチに言われた「小さな積み重ねが後に大きな変化を生む」という言葉を信じて、気分の浮き沈みはあっても、リハビリなどやらないといけないことは必ずと心に決めていました。精神的につらくて投げ出したいと思うこともありましたが、困難から目を背けずに真正面から受け止めて、目の前のやるべきことに集中するようになりました。
福澤:自分を奮い立たせるもの、前を向く原動力は何でしょうか。
清水:応援してくれる人のためにという思いは強いです。みんなの期待に応えたい、その一心でこれまでやってきました。家族や仲間、ファンの方々の支えがあって大けがからも復帰することができました。誰も応援してくれる人がいなかったら、簡単に諦めていたと思います。
「楽しむこと」を忘れない。それがマイルール
福澤:オリンピックという一つの大きな節目を終えて、次なる目標は何でしょうか。
清水:できるだけ長く現役を続けるのが今の目標です。バレーボールは30~35歳くらいで引退というのが通例ですが、それを打ち破り、後進の指標となりたいです。
福澤:いつまでできるかというのは、明確なゴールがなく漠然としていて、取り組みづらくはないですか。
清水:若手の頃と比べても、今が一番バレーボールを楽しめています。この楽しいという感覚がなくなったら引退だと思っています。だから明確なゴールは設定しなくてもいいかなと。ここから自分がどうなっていくのかにも興味があります。バレーボールを始めた頃の原点に戻ったような感じですね。
福澤:自身の競技生活を通して何を伝えたいですか。また、スポーツの力は何だと思いますか。
清水:頑張っている人の背中を押せる選手になれればなと思います。特に30~40代の同世代を応援したいです。35歳はスポーツの世界ではベテランですが、一般社会では働き盛りで、一番ストレスがかかる年齢かもしれません。「清水が頑張っているから、私も頑張ろう」と思ってもらえたらうれしいです。スポーツは結果がはっきりするので、頑張りが見えやすく、その姿に自分を重ねやすいですよね。一生懸命に頑張る姿は無条件に勇気と感動を与えてくれます。それがスポーツの持つ大きな力だと確信しています。
福澤:パナソニックグループの新体制がスタートしました。今後バレーボールを事業化していくうえで必要なことは何だと思いますか。
清水:地域密着型のクラブを目指し、まずは拠点とする枚方での認知度を上げることです。そのためには市民との接点をできるだけ増やす必要があります。地道な活動かもしれませんが、駅でビラを配ったり、ショッピングモールでイベントをしたり、SNSなども有効に活用しながら、チームやスポーツの魅力を発信していきたいです。また、新規ファンを獲得するだけでなくリピーターになってもらわないといけません。試合で感動を与えるのはもちろんのこと、会場全体をエンターテインメントとして楽しめる場所にし、遊園地に遊びにいくような感覚で世代問わず来てもらえるようになることが理想形です。
福澤:最後に、これから新たな一歩を踏み出すパナソニックの社員に向けて、メッセージをいただけますか。
清水:私自身、これまで決して順風満帆な競技人生ではなく、つらいことの方が多かったように思います。でも、「楽しい」という気持ちを忘れたことはありません。この楽しいという感情がなくなると何事もうまくいかなくなります。どんな状況でも「楽しむこと」を忘れずに、共に頑張っていきましょう。
福澤:今日は貴重なお話をありがとうございました。
清水:ありがとうございました。お互いに敬語で話すのは初めてなので、変に緊張しました(笑)。
福澤:個人的にずっと聞きたかった質問をしてもいいですか。なぜバレーボールをしていますか。
清水:バレーボールが大好きだからです。好きだからこそ続けられる。これはバレーボールを始めた頃からずっと変わりません。福澤さんはなぜバレーボールをしていましたか。
福澤:逆に質問してきましたね(笑)。私はバレーボール選手としての限界がどこにあるのか見てみたいというのが大きなテーマでした。自分の中で一つのゴールにたどり着いたので、新たな挑戦を求めてキャリアチェンジをしました。
清水:ここで2人の進む道が分かれた理由が分かったような気がします。福澤さんに「まだバレーやっているのか」と言われるまで頑張りますよ。
福澤:これからは1人のファンとして活躍を期待しています。
どんな困難に直面しても決して歩みを止めないその姿に「清水が頑張っているから、私も頑張ろう」と何度も勇気づけられました。乗り越えられない壁はない。清水選手を見ていると不思議とそう思えてきます。これからどんな姿をみせてくれるのか。皆さんもぜひ注目してください。
Interviewer & Writer:福澤達哉(ふくざわ たつや)
1986年7月1日生まれ。京都市出身。
元バレーボール日本代表。2008年には北京オリンピックに出場。
2009年にパナソニック パンサーズに入団し、国内タイトル3冠を3度達成するなどチームの優勝に貢献。2015-2016年にブラジル,2019-2021年にフランスリーグでプレーするなど海外でも活躍した。2021年8月、現役引退。
現在、パナソニック コーポレート広報担当。
元バレーボール日本代表の福澤達哉が初取材! 取材を終えての感想は・・・
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