元プロレスラーで俳優としても活躍したストロング小林さん(本名・小林省三)が昨年12月31日午前7時21分、東京・青梅市内の病院でのう肺のため亡くなった。81歳だった。
関係者によると小林さんは、4年前から腰椎損傷で下半身が動かなくなり青梅市内の特別養護老人ホームで1週間のうち4日間、3日間を青梅市内の自宅で生活をしていた。今夏からはすべてを老人ホームで暮らすようになったが昨年11月には肺を患い青梅市内の病院に入院。12月30日に容体が急変し、家族に見守られながら、31日朝に息を引き取った。
小林さんは、1940年12月25日に東京・本郷で生まれた。戦時中に青梅市に疎開し、同市で育った。高校卒業後に国鉄(現在のJRグループ)に入社し南武線の稲城長沼駅へ勤務した。25歳の時にボディビル会場でスカウトされ国際プロレスに入門。67年7月27日に日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューした。
その後、素顔となりリングネームを「ストロング小林」と変えてからは、欧州、米国のマットを席巻。国際プロレスのトップレスラーとして活躍。1971年6月にはIWA世界王座を奪取し名実共に国際を支えるスターレスラーとなった。
1974年2月には新日本プロレスに引き抜かれ、3月19日には蔵前国技館で当時、禁断とされていた団体の枠を越えた日本人対決となるアントニオ猪木戦を実現させた。75年5月には新日本プロレスに入団し、坂口征二とのタッグで北米タッグ王座を獲得するなどトップレスラーとして新日本のリングで戦った。81年秋から腰痛を悪化させ長期欠場に入り、84年8月26日に東京・福生市体育館で現役を引退した。
引退後は芸名を「ストロング金剛」とし、映画、ドラマ、バラエティ番組など多方面で活躍。中でもTBS系「痛快なりゆき番組 風雲たけし城」では悪役として一般参加者を追い回す姿で絶大な人気を得た。95年1月からは芸能活動も休止し、青梅市内の自宅で生活をしていた。
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