男性は土浦市周辺で教諭や校長を務めた鈴木光璋(こうしょう)さん(85)。牛久市立牛久一中3年の担任だった1972年3月、卒業式を迎えるに当たり、生徒41人から「二十年後の目標」「二十年後の私」と題した作文を自分への手紙という形で預かり、自宅の書庫に保管した。
手紙は卒業から20年後に同窓会を開き、その場で開封して盛り上がる考えだった。しかし同窓会や会合は開かれず、鈴木さんも教え子たちの連絡を待っているうち、保管のことを忘れていた。気付いたら今年で50年。鈴木さんは高齢のため「心の整理をつけたい」と学校時代の資料やアルバムを片付けるうち、作文の入った箱を見つけた。記憶がよみがえり、教え子に返還することを決め、当時の学級委員長で牛久市の医師、村山淳一さん(65)に箱を送った。
鈴木さんは、同じく教え子の取手市、古山富士男さん(65)らに連絡し、4月7日、村山さんの医院で「夢の箱」と書かれたきりの箱を開封。中から当時の手紙や作文、写真が出てきた。
「人間として生きる」と書いた自分の作文を手に取った村山さんは「当時は目標もなく、何も考えていなかった。友人とふざけ合ったことが懐かしい」と笑顔を見せた。古山さんは「飲食店を開きたい」と夢をつづった作文を読み、「その後目標が変わり店は開かなかった。皆仲良しで楽しかった」と振り返った。4人が既に亡くなっていたが、手紙は手分けして本人や実家に届けられている。
鈴木さんは「皆が一生懸命書いた手紙を開封できて、肩の荷が下りた」と表情を崩し、「こういう時代があったと思い出してくれれば。機会があれば再会して語り合いたい」と新たな夢を思い描いていた。
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