Wednesday, April 20, 2022

50年前預かり保管 教え子の手紙届けたい 茨城・土浦の元校長 - 茨城新聞クロスアイ

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茨城県土浦市在住の元中学校長の男性が現役時代に預かった生徒の作文集を卒業50年後の今年、教え子の元に届けている。内容は20年後の自分に向けた手紙。開封を予定していた同窓会などが開かれず男性宅に保管されてきた。高齢で心残りだったといい、「生徒の大切な思い出を何とか届けたい」と元生徒の協力を得て手紙の返還を始めた。

男性は土浦市周辺で教諭や校長を務めた鈴木光璋(こうしょう)さん(85)。牛久市立牛久一中3年の担任だった1972年3月、卒業式を迎えるに当たり、生徒41人から「二十年後の目標」「二十年後の私」と題した作文を自分への手紙という形で預かり、自宅の書庫に保管した。

手紙は卒業から20年後に同窓会を開き、その場で開封して盛り上がる考えだった。しかし同窓会や会合は開かれず、鈴木さんも教え子たちの連絡を待っているうち、保管のことを忘れていた。気付いたら今年で50年。鈴木さんは高齢のため「心の整理をつけたい」と学校時代の資料やアルバムを片付けるうち、作文の入った箱を見つけた。記憶がよみがえり、教え子に返還することを決め、当時の学級委員長で牛久市の医師、村山淳一さん(65)に箱を送った。

鈴木さんは、同じく教え子の取手市、古山富士男さん(65)らに連絡し、4月7日、村山さんの医院で「夢の箱」と書かれたきりの箱を開封。中から当時の手紙や作文、写真が出てきた。

「人間として生きる」と書いた自分の作文を手に取った村山さんは「当時は目標もなく、何も考えていなかった。友人とふざけ合ったことが懐かしい」と笑顔を見せた。古山さんは「飲食店を開きたい」と夢をつづった作文を読み、「その後目標が変わり店は開かなかった。皆仲良しで楽しかった」と振り返った。4人が既に亡くなっていたが、手紙は手分けして本人や実家に届けられている。

鈴木さんは「皆が一生懸命書いた手紙を開封できて、肩の荷が下りた」と表情を崩し、「こういう時代があったと思い出してくれれば。機会があれば再会して語り合いたい」と新たな夢を思い描いていた。

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